自分の中に神(仏)はいる!?前編

ボクは宗教にはまっているワケではないのですが、ここ1〜2年は法華経やら聖書やらを哲学的な観点から読んだり調べたりしています。当院に超ぉ一流の科学者レベルのお客様が来られているのですが、このお客様いわく「物質世界(科学的分野)を徹底的に研究していくと行き詰まり、最後は世の中でいうところのスピリチュアル(霊性世界)へと行き着く」との事です。西洋医学が遺伝子レベルまで進んでいるのも関わらず癌の死者数が一向に減らないのはその証左たるものかと(^^;)。宇宙の謎だって全然わかっていないですし(^^;)。必ず行き詰まるのですね。そうなると、科学的要素と霊性的要素(スピリチュアル的な要素)を融合させて研究して行かなければ先に進まないそうなんです。

スピリチュアルの霊性的な考え方ですと、我々の住む遥か天空や宇宙の遠ぉ〜い世界に、神なり仏(お釈迦様・如来様・菩薩様等々)が存在する、と言われています。ではでは、その神様などは実際はどこにいらっしゃるのか!?…ボクはその辺りがとても引っ掛かりました。そこで今回のブログではマニアックに掘り下げて考えてみたいと思います。

ところがですね〜、いざ答えを探そうとしたのですが、う〜ん(^^;)…全然見つかりません(笑)。そんな時、法華経の「方便品第二」のお経(訓読)を眺めていたら引っ掛かる部分が出てきたのです。それは、この方便品第二の後半の「諸仏如来の但菩薩を教化したもう」という一文です。

この一文を単純に訳すと「仏のような素晴らしい人(神様や釈迦如来レベルの存在)は、素晴らしい可能性を持った人(菩薩様レベル以上)しか相手にしないし導かない」と読み解けます。しかし、実際には仏は多種多様な人々を導かれるような事をされている。つまり << 誰もが、最高の可能性を持つ菩薩である >> ということを、この一文は示しているのではなかろうかと!(とボクは思いました)。

そんでもって更に掘り下げていくと、<< 神なり仏は自分自身の内にいる!? >>
このように考えることもできませんか!?

今までの考え方ですと、神とか仏のような超越的存在は、遥か天空や宇宙の遠ぉ〜い世界というか自分自身の << 外側にいる >> でしたが、実は自分自身の中の認識や頭の中の << 内側にいる >> のではなかろうか!?って事ですね。どひゃ〜!!Σ( ºωº )

神や仏というものは、自分自身の中の認識でしかない、自分自身で作り出している、という解釈もできるのかなぁ〜と思っています。反対に、神とか仏は絶対に信じないっていう人は、神や仏なんていないと思ってる。そうなると、その人の認識の中では神なり仏は存在しないんですよね。

驕り高ぶった捉え方ですと「自分そのものが仏(菩薩や如来)や神である( ̄ー ̄)ニヤリ笑♪」とも言えなくもないですかね。

ここでちょいと「三波春夫」さんの『お客様は神様です』という有名なフレーズの真意ついて考えてみたいと思います。ご本人が生前にインタビューなどでこのフレーズの意味を尋ねられたとき、次のように答えられていたのだそうです。

『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです

これはつまりは << みんな神様ですよ! >> という事です。皆様お一人おひとりが神であり仏なんです。皆様の内側、認識の中に神様なり仏様はいらっしゃいます。皆様は(三波春夫さんいわく)神なり仏なんですから、その立場に恥じぬような清き人生を送って行かねばならないかと(^^;)。もちろんボクも含めて!(^^;)

例えば職場での部下への意地悪はしないなどですね。意地悪をされた側や追い詰められた側はストレスが溜まります。そのストレスで癌などを患います。このような方々がたくさん出てくると高額な治療費により国家財政を圧迫します。ゆくゆくは意地悪をした側にも増税という形で跳ね返ってくるんで、意地悪して良いことはないんですよ。結果としてみんなが不幸になるのですね。

それでは皆様の御多幸を心よりお祈り申し上げて今回のブログは終わりとさせて頂きます(^^)。
というか、もう少し能書き垂れたいので後編に続くとします(笑)。

(参考文献:「お客様は神様です」について by 三波春夫オフィシャルサイト)
https://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html