「放てば手にみてり」とお金と人

こんにちは。

忙しくて全然ブログ記事を配信していなかったのですが、少し前のお話をさせて頂きます。

9月11日(日)はここ最近にしては久々に超ぉ暇な一日で、日課の筋トレや日焼けやネットサーフィンなどやる事をやってしまったため、超ぉ早く寝てしまいました(笑)。そんなんで翌朝12日(月)は超ぉ早い、早朝4時頃に目覚めてしまいました(笑)。

目覚めてしまったものは仕方がないなと、特段やる事もなかったため、ボケ〜っと短文投稿サイト「ツィッター」を見ていたら、とある動画を紹介する投稿がありました。そんなんでその動画をふと視てみたのですが、これが実に面白かったので皆さまにも紹介させて頂きますね。

■円安・インフレ・低賃金『〇〇〇時代』の終焉(夜のドライブと共に)

この動画はアメリカに在住されている日本人の方が、外国目線からの日本観や日本人観について配信されていらっしゃいます。「井の中の蛙」とはよく言ったもので、日本の中だけにいるとなかなか気がつかない事も多々ありますが、この動画を拝見させて頂き「あ〜、なるほどなぁ〜♪」って(^^)。

ボクなりの解釈なんですが、端的にいうと「ときには逃げればいいじゃん♪」「ときには執着を捨てればいいじゃん♪(放てばいいじゃん♪)」って事でございますね。

この方は何個か例えをあげてお話されています。

最初はオアシスだと思ってたくさんの人が集まった東京。ところが人が集まり過ぎたからか、ここに来て何かとイザコザや争いが多くなって来ている(どこかギスギスしている)。もしこのように辛かったり、自分の身に危険が及びそうであるならば、鹿(野生動物)たちならば素直に逃げている。でもなぜだか人間だけは逃げない。特に日本人はこのような傾向、困難から逃げてはいけないという精神論が根強い。「人間も動物なんだからみんなで素直に逃げればいいじゃないか(^^;)」と論じていらっしゃいます。すると数が減るので自然とケンカも少なくなっていく(^^)…

そしてこの方は、そこから日本の大企業の構造的な問題へと話を進めます。日本だけ賃金が上がらないというのが問題となっているが、これも外国企業ならばみんなで集団退職する。すると企業は運営できなくなるから「あぁ〜!待ってくれ!給料を上げるからぁ〜!!泣(TдT)」となる。日本の大企業は内部留保として大量のキャッシュを持っていて、(旧態依然の)現金主義に陥っている。マイクロソフトもかつては莫大なキャッシュを保有していたが、この時期は次々に悪い事が起ったりや攻められたりしていた。そこから「本当に大切なのは “人” である事を悟った」というような形で動画の話を締めくくられています。

< 放てば手にみてり > という禅のことばがございます。

曹洞宗の開祖・道元禅師の「正法眼蔵」(弁道話)に見られることば。「坐禅の修行をすることで、思いを手放し執着を捨て、心を空にすれば、真理と一体となったゆたかな境地が手に入る」と説いています。「手放せば、手に入るんだ」。いかにも禅のことばです。

でも、禅の世界だけでのむずかしいことばではありません。たとえば、トリノ冬季オリンピックの金メダリスト荒川静香さん(フィギアスケート)は、「メダルを取ろうなんてまったく考えずに滑ったら、金メダルを取っていた」と話しています。欲や執着をポンと手放したところで、最高のものを手に入れたのですね。

人は生きている間中、あれも欲しいこれも欲しい、ああしたいこうしたい、という思いにとらわれています。もちろん、欲をかくばかりでなく、「自分はどう生きればいいのか」と真剣に考えぬく人もいるでしょう。上の動画【円安・インフレ・低賃金『〇〇〇時代』の終焉(夜のドライブと共に)】の例でもあげた、人が集まり過ぎてケンカやイザコザの絶えない大都市で、困難でヤバイ状況なのに精神論的な呪縛から逃れられず、職や今の立場を手放せない捨てれないといった場合もこれに当たるでしょう。

道元禅師は、「只管打坐(しかんただ)」、つまりひたすら坐禅を組み、妄想を払えと説いています。生き方をあれこれ真面目に考えることも雑念であり妄執であるから、これを坐禅に打ち込んで手放しなさいと言うのです。

手から放れたとき、自然に手に満ちてくる。何かをつかんだままの手には別のものを渡しようがありません。まず、それを手放してみましょう。放してみたら、「なんだ、こんなつまらないものをつかんでいたのか」と笑ってしまうかもしれませんね(^^)。

手放したらば、必ずや導かれる(手に満る) とボクは信じております。ときには素直に動物的な本能で逃げることも必要です。