「お前はもう死んでいる!笑」:時間など本来はない珍説論

一般的には、時間は過去から未来に流れていると思われています。しかし、仏教観では、時間は直線的に流れるものではなく(過去から未来に流れるものではなく)、“無“から“有“が生まれた瞬間に、すでにすべてが完結しているという考え方のように思います。人気漫画「北斗の拳」の主人公ケンシロウの名台詞じゃないですが、「お前はもう死んでいる!」んです(笑)。つまり、僕たちが体験している時間の流れは、ある種の錯覚にすぎないのかもしれません。

分かりやすい例えを挙げるなら、スーパーマリオブラザーズのゲームソフトの世界です。ゲーム内では、すでにプログラムされた膨大な数のパターンが存在し、その中には過去も未来も含まれています。主人公であるマリオは、まさに僕たち一人ひとりといえるでしょう。

ゲームの中のマリオは、このプログラムされた世界を動き回り、さまざまな選択肢を体験します。途中で穴に落ちたり、炎の障害物に引っかかったり、飛んでくる敵にぶつかってゲームオーバーになることもあれば、巧みに幾多の障害を乗り越えて大魔王クッパを倒し、お姫様を助けるというハッピーエンドを迎えることもあります。

重要なのは、このマリオの選択肢がすべて、ゲームソフトの中にあらかじめ含まれているという点です。例としてあげたマリオも、リアルな世界で生きる僕たちも、その中で自由に動いているように感じていても、実はその自由すらもプログラムの一部であり、“この世はすべて(すでに)完結している!“のです(だという持論です)。


◎参考文献:【スタートからクリアまで】 攻略 スーパーマリオブラザーズ 初代 ミニファミコン ”Start to Ending” SUPER MARIO BROS. mini Famicom(Aki-Games / あきゲームズ)

僕自身の経験を振り返ってみると、確かに“プログラムされたゲーム“のように感じる部分があります。たとえば、江別高校を卒業後、短大に進学し、趣味だったボディビル大会への出場に専念しました。何となく拘束感のある就職を拒絶し、アルバイトやパートで食いつなぎながら筋トレを続ける日々。お金は常に不足していて彼女もできない(笑)。そんな状況の中で「整体」という世界に巡り合い、ある整体団体の公認指導員のもとで働きながら弟子入りし、独立開業するに至りました。一向に貧乏暇なしですが(笑)、お客様の紹介のおかげで妻とも出会い、何とか現在の生活を築くことができました。

しかし、こうした人生の歩みも、実は“プログラムされたゲームのように無数のパターンが存在していたのではないか?“と最近は考えるようになりました。

もし、ボディビル(筋トレ)の世界に出会わなかったとしたら、特段の趣味も元々ないですし、江別高校卒業後すぐに就職していたかもしれません。また、もし進学校である大麻高校に通っていたなら、勉学に励んで公務員を目指していた可能性もあります(合格するかどうかは別ですが…^^笑)。そんでもって“今現在の整体師としての津田ではなかった“のかもですね(^^)♪

おそらくですが、日本国民であれば1億2千万人、世界全体では約80億人の人々がいます。その一人ひとりが、数え切れないほどの無数のパターンを持つ存在であり、この世をお作りになった神様(あるいはエネルギー体)が超ぉ高度なプログラミングをしているのが、この世界なのではないでしょうか。僕たちは、ゲームカセットに詰め込まれたプログラミングゲームの中で動くマリオそのものなのです。

ゲームが数千万本売れ、家族みんなで楽しむとすれば、その何倍ものマリオが存在することになります。「それが地球という世界に住む僕たち一人ひとりなのではないか?」と考えると、なんだか不思議で壮大な気持ちになります。

さらに付け加えるならば、ゲームをプレイする数億人から数十億人のお一人ひとりの世界(世界観)も存在するという事です。“今の世界は自分で映しだしているに過ぎない(創り上げているに過ぎない)という説“もあります。

散りゆく桜や秋の落ち葉をみると、その枯れゆく過程に美徳というか“侘び寂び“を感じますが、なかには「何だか汚らしいな」と感じる人もいる(笑)。このように同じ光景をみていても全然捉え方が違うのですね。つまりは創り出している世界が各々違うという解釈もできませんか。

昨今の世界や日本は何だか生きにくい世の中になってきていますが、自分で世界を創っていると思えば、どんな状況でも“自分軸“で楽しく生きていけますよね。「俺が王様だ!」くらいの気持ちで、もっと気楽にいきましょう(笑)。

それでも、自分勝手すぎるのも良くはないです。家の風通しを例に挙げてみます。快適な風を通すには、家の片側だけでなく、対角にある窓も開けたほうがいいじゃないですか。自分という「片側の窓」からだけでは、新鮮な風は通らない。他者という「対角の窓」が開いてこそ、心地よい風が巡るような気がします。つまり、片側の窓だけでは新鮮な空気が入らないように、自分だけ(俺が俺がだけ)過ぎても世界では成り立たない。他者を尊重しつつ、自分軸を保ちながら共存していくことが、きっと皆さん自身の快適な人生をつくる鍵になるのではないでしょうか(^^)。

北海道でも、ようやっと春らしさを感じるようになってきました。春らしいブログ記事にしてみました。最後までお読みいただき、ありがとうございました(^^)♪