(強すぎて対戦相手がなかなか見つからない我が国の世界チャンピオンたち。プロモーター側はいつも対戦相手を探すのに四苦八苦しているようです^^)
ボクシングで興味深いニュースを耳にしました。日本のバンタム級には、世界的に高く評価されている[世界チャンピオン]が何人かいますが、なんと「強すぎて対戦相手がなかなか見つからない」のだそうです。
ここで、ふと思いました。「勝者が存在するのは、敗者がいるからだな」と(^^)。視点を変えると、[敗者のおかげ]ということになりますね。たとえどんなに優れていようと、強かろうと、比較する相手がいることで初めて勝者として成り立つのです。つまり、勝者はその関係性の中で生まれる存在だと言えるでしょう。
小売業に従事されている方から、面白い話を聞いたことがあります。小売店には1リットルの牛乳がたくさん並んでおり、複数種類があると思います。しかし、[1種類だけ]だとあまり売れないそうです。特に[最後の1本]は、売れ残りやすい(笑)。
理由を尋ねると、「人は比較することで購買意欲が生まれるのでしょうね」との答えが返ってきました。
なるほど!そういうことです!世の中のあらゆる事象は、宇宙原理として、何かと比較することによって成り立っているんですよね。
現代社会は、ピラミッド型の縦社会です。富む者もいれば、貧しい者もいる。権力を持つ者もいれば、服従せざるを得ない者もいます。「みんなが平等であればいいのに、なぜ神様やお釈迦様はそんな世界を作ってくれなかったのか?」と常日頃から不満に思っていましたが、いろいろと調べるうちに理解が深まりました。
仏教の教えである[諸法無我]は、まさにこの状況を説明しています。この教えは、個々の存在が独立しているのではなく、全体としての関係性の中で成り立っていることを示しています。
現世では、貧富や身分、社会的地位の差異が目立つこともありますが、僕たちはこれらの「違い」に囚われず、むしろその違いを[受け入れる]ことで、精神的な平等や解放を目指すことができるのではないかと思います。皆さまが今見ている世界観は『映し出されているアナタ自身の内面が創り出している!』とも解釈できますよね。現世における不平等や階層は、物質的観点からは存在し続けるかもしれませんが、[諸法無我]の教えを理解すれば、その差異を超え、広い視点で平等を目指すことができるかもしれません。
また、この教えをさらに掘り下げると、他者との関係性を理解し、共に成り立っているという認識が、他者への慈悲や共感、平等の精神を養う重要な基盤となることがわかります。つまり、現世での修行の一環とも言えるでしょう。勝ち負けや成功と挫折が交互に訪れることで、人は修行を積むのかもしれませんね( ̄ー ̄)ニヤリ。
神社などで見かける太極図(陰陽図)は、まさにこの真理を示しているのではないでしょうか?(^^)。白(陽)と黒(陰)は、互いに相反する性質を持ちながらも、どちらも宇宙や自然の一部であり、相互依存しています。どちらか一方だけでは成立しないのです。勝ちたくても相手がいなければ、勝つことはできません(笑)。さらに、ライバルがいなければ技術や強さの進歩も止まってしまいます(涙)。
まとめると、ボクシング界のカリスマ的勝者や、グローバリズム時代の富豪(勝者)が存在するのも、[諸法無我]の視点から見れば、[敗者のおかげ]という結論に至ります。
ボクシング界のトップを走り続ける井上尚弥選手は、X(旧Twitter)で「僕と闘った人それぞれに生きるストーリーがある。その人たちのためにも勝ち続けなければならない。」と、常に利他の精神を忘れていないようです。彼の過去の投稿にも、周囲への感謝が垣間見えます。
僕と闘った人それぞれに生きるストーリーがある。その人たちのためにも勝ち続けなければいけない。
“格下の高校生”だった井上尚弥に敗北「試合後、初めて泣きました」後の世界王者たちを撃破“アマ最強ボクサー”は高校教師に…柏崎刀翔の壮絶人生 https://t.co/WrHMumW6Zc #ボクシング
— 井上尚弥 Naoya Inoue (@naoyainoue_410) October 11, 2024
敗者への感謝は必要ですね。そして、敗者側もその事実を受け入れたうえで、精神的な精進を続けることが求められていると感じます。
少し偉そうに書いてしまいスミマセンでした。僕もまだまだ負け続きです。勝ちを、さらなる高みを目指します(^^)。
[…] [前編]では、仏教の教えである[諸法無我]の言葉を交えながら、敗者への感謝が必要であり、敗者側もその事実を受け入れつつ、精神的な精進を続けることが求められている、と締めくくらせていただきました。[後編]では、そこから導き出されるコミュニティの重要性についてお話させていただきます。 […]