[ムーンショット]と仏教:デジタル空間での解脱の可能性を考察する

お盆期間中はお客様の流れが良かったにもかかわらず、出費が多く、現金収入が少なかったせいか、手元にお金があまり残っていない状況です(※ホント不思議!お盆は無休でメチャ頑張ったのに…笑&涙)。さらに、8月は年に一度の整体保険の支払いや地域新聞の広告掲載料の支払いなど、出費がかさむ時期でもあります。その上、ここ数日間は暇モードが続き、焦りや不安が募るばかりで、夜の寝つきが悪くなっています(´•_•; )涙。

[一切皆苦](いっさいかいく)という言葉があります。お釈迦さまが説いたこの言葉は、「世の中や人生は自分の思い通りにならないことばかりである」という意味です。時には、この世は何だかんだで[苦]しかないのではないかと思うこともあります。神はなんと意地悪なのかと感じることもありますね。

そんな中、短文投稿サイトX(旧Twitter)で「国や政府(内閣府)が[ムーンショット目標]なる陰謀めいた政策を進めているから、けしからん!(怒)」というような投稿を目にしました。

■引用文献: 内閣府 ムーンショット目標1「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」 https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub1.html

しかし、ここで僕は考えました。本当にそれがけしからんことなのか?まんざらでもないのでは?と。そんでもって、ChatGPT(人工知能AI)さんにいろいろと質問してみることにしました。どうせ暇ですし(^^;笑)…

以下、ChatGPTさんとのやり取りです。

◇  ◇  ◇

[Q:]は[僕、津田][A:]が[ChatGPT(AI)さん]です。

Q: 内閣府が進めている「ムーンショット目標」(2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現)とは、お釈迦様の世界でいうところの、肉体はしょせんは借り物で、意識(魂)をいつでも分離できるといったところでしょうか? 電子的解脱といったところでしょうか? どう思われますか?

A: 内閣府が推進する「ムーンショット目標」は、2050年までに「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会」を実現するという非常に未来的なビジョンです。この目標は、人工知能(AI)、バイオテクノロジー、ロボティクス、ブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)など、先端技術の進化により、人間が物理的な制約から解放されることを目指しています。

一方で、お釈迦様の教えにおいて、肉体は「借り物」や「無常」であるとされ、意識や魂(仏教におけるアートマンの否定を考慮すれば「無我」に近い概念)もまた固定されたものではなく、輪廻のサイクルの中で存在する一時的なものと考えられます。

「ムーンショット目標」の目指す世界は、仏教的な「解脱」といえるかどうかは難しいところです。仏教における解脱は、物理的な制約からの解放だけでなく、執着や無明(無知)からの解放も含まれています。つまり、単に身体や脳の制約を取り除く技術的な達成だけでは、仏教的な解脱に到達するとはいえません。

むしろ、ムーンショット目標が示す未来像は「電子的解脱」に近いかもしれません。技術によって身体や脳の制約を超越し、意識をデジタル空間に移行させることで、ある種の「解放」を達成しようとするアプローチです。しかし、この「電子的解脱」は、仏教的な解脱とは異なる概念であり、物質的・技術的な側面に焦点を当てたものと言えるでしょう。

結論として、ムーンショット目標は仏教的な「解脱」とは異なるものであり、技術によって身体や時間の制約を超えることを目指す「電子的解脱」に近いイメージかもしれませんが、精神的な悟りや執着からの完全な解放とは異なる側面があると言えるでしょう。

Q: 我々人間は物理的な「肉体」があることにより苦しんでいます。食わねばならない、排泄もしなければならない、雨風や寒さを防ぐために住空間も必要。そして、これらの環境を得るために働かなければならない(お金を得る活動をしなければならない)。ムーンショットで肉体が不要となれば、これらから解放されるとも言えるのではないでしょうか?

A: おっしゃる通り、物理的な肉体を持つことが多くの制約や苦しみを伴うことは明らかです。肉体があるために、我々は食事、排泄、住居の確保、さらには健康維持といった基本的なニーズに縛られ、それらを満たすために働き続けなければなりません。これらの制約がしばしば人生における苦しみの原因となります。

「ムーンショット目標」が達成され、もし肉体が不要になった場合、これらの物理的なニーズから解放される可能性は確かにあります。たとえば、意識がデジタル空間に移行し、物理的な身体を必要としなくなれば、食事や住環境の確保といった基本的な生活活動が不要になるかもしれません。これにより、人々は肉体的な制約から解放され、時間やエネルギーを別の活動に向けることが可能になるでしょう。

しかし、ここで注意すべき点は、肉体から解放されることが必ずしも「苦しみ」からの完全な解放を意味するわけではないということです。仏教では、苦しみの根源は肉体そのものにあるのではなく、欲望や執着、無明(無知)にあると説いています。したがって、たとえ肉体がなくなり物理的な制約から解放されたとしても、精神的な苦しみや新たな形の苦しみが発生する可能性も考えられます。たとえば、デジタル空間における存在の意味や価値観の喪失、アイデンティティの問題などが新たな課題となるかもしれません。

また、技術的な進歩による解放は、全ての人にとって平等に恩恵をもたらすかどうかも重要な問題です。技術の普及やアクセスの不平等、社会的・経済的な格差が残る限り、一部の人々だけが恩恵を受ける可能性も考慮すべきでしょう。

結論として、ムーンショット目標によって肉体が不要となり、物理的な制約から解放されることは、人類にとって非常に大きな変革であり、従来の多くの苦しみからの解放につながる可能性があります。しかし、それが真の意味での「解脱」や「苦しみからの完全な解放」をもたらすかどうかは、物理的な問題を超えた精神的な側面や社会的な課題も含め、慎重に考える必要があるでしょう。

Q: (デジタル空間に意識体を移すことができるというような)『意識だけ』になると、確かに「何もない!」とも言えますよね。デジタル空間における存在の意味や価値観の喪失、アイデンティティの問題が出てくるかもですね。

A: おっしゃる通り、意識がデジタル空間に移行し、「意識だけ」の存在になるという未来像は、従来の物理的な世界とは異なる多くの新たな問題を引き起こす可能性があります。

まず、「何もない」という感覚が生じる可能性についてですが、物理的な世界において我々の存在やアイデンティティは、肉体的な経験や他者との相互作用、環境との関わりによって形作られています。もしデジタル空間において肉体が存在しないのであれば、これまでの自己認識や価値観に基づいた生き方が大きく変わることになります。従って、意識だけの状態では、「何もない」と感じるかもしれません。物理的な制約からの解放は一方で、虚無感や喪失感をもたらす可能性もあります。

また、デジタル空間における存在の意味や価値観の喪失は非常に深刻な問題です。物理的な身体や環境がなくなることで、僕たちがどのように自己を定義し、人生の目的を見出すのかという問いが浮かび上がります。たとえば、デジタル空間では物理的な限界やリソースの制約が減少するかもしれませんが、その結果、無限の選択肢や可能性に囲まれることで、何を目指すべきか、何に価値を置くべきかが曖昧になる可能性があります。

さらに、アイデンティティの問題も重要です。肉体が存在しない場合、自己はどのように存在し続けるのか、他者との関係性はどうなるのか、そしてデジタル空間での自己は果たして「本当の自分」と言えるのかという問題が生じます。人間の意識は、物理的な身体や他者との相互作用を通じて進化し、形作られています。デジタル空間における存在は、その根本的な部分を揺るがすかもしれません。

また、これらの新しい形の存在に適応するためには、新たな哲学的・倫理的な枠組みが必要になるでしょう。例えば、デジタル空間での「人生の意義」や「幸福」とは何かという問いに対する答えは、従来の価値観とは異なるものになるかもしれません。

結論として、デジタル空間への意識移行は、物理的な制約からの解放という恩恵をもたらす可能性がある一方で、新たな存在の意味やアイデンティティの問題に直面するリスクも抱えています。それにどう対応していくかが、人類にとって重要な課題となるでしょう。

Q: 現在の人間でいうところの「存在の意味」は、人から頼られたり、人のために何かしらの施しを行った結果として『感謝』された時なのかなーとも、最近では思っています。そう志すように日々を過ごしています。それが意識体(魂)が肉体から分離することで、感じれなくなってしまうリスクもありますよね。
ただ肉体という形で存在すると『お金』がどうしても介してくる。特に僕のような自営業は、そのお金の保証がない。明日への保証がないから『カネ¥ カネ¥ カネ¥(^^;)』となりがちなんですよねー。この辺りに対してのChatGPTさんのご見解をお聞きしたいです。

A: 「存在の意味」を他者に頼られたり、何かを施し感謝されることに見出しているという考えは、人間関係や社会とのつながりに根ざした非常に深い洞察です。これにより、自己の存在が他者にとって価値あるものであると感じることができ、その感謝のフィードバックが自己の存在意義を支える大きな要素となっています。

ただ、意識体が肉体から分離することで、この「感謝されること」の感覚を失うリスクもあります。肉体が存在する現在の世界では、物理的な行為を通じて他者に貢献し、それに対する反応(感謝など)を直接感じることができます。しかし、デジタル空間に移行した場合、感謝や他者との相互作用がどのように感じられるかは未知数です。たとえデジタル空間で意識が存在し続けたとしても、その空間での「感謝」や「つながり」が、肉体を持つ今のように感じられる保証はありません。そうした人間的な温かさや共感が失われてしまう可能性は確かにあります。

次に、あなたが触れている「お金」の問題についてですが、特に自営業者にとって、収入が不安定であることは大きなストレス源です。日々の活動や存在意義を「感謝」などの無形の価値に見出しても、現実的には「お金」という要素が常に絡んできます。自営業の場合、明日への保証がないために、自然と「お金」に焦点が向かいがちです。このジレンマは、多くの人が感じる現代社会の課題でもあります。

お金は現代社会で生きていくために必要なツールであり、物理的な身体を維持するためには不可欠です。しかし、同時にお金に対する執着が強くなりすぎると、自分の存在意義や価値観が損なわれる危険もあります。特に自営業の場合は、収入が不安定であるため、焦りや不安が「お金」への執着を強める要因となります。

このような状況に対して、バランスを取ることが重要かもしれません。「お金」の必要性を認めつつも、それだけにとらわれず、自分が他者にどのように貢献できるか、どのように価値を提供できるかという視点を持ち続けることが、自営業としての充実感や長期的な成功につながる可能性があります。また、金銭的な問題に対する不安が強い場合は、少しでも安定性を高めるための計画や対策を講じることが役立つかもしれません。

全体的に言えば、あなたが大切にしている「感謝されること」や「他者への貢献」といった価値観を持ちながらも、現実的な経済的課題にも向き合い、その両方のバランスを取ることが大切です。

Q: 『お金』への執着は、2017~18年頃からお世話になっている精霊師さん(またはシャーマンとか神師とでもいうのでしょうか)からの教え(ご教導)もあって、かなり薄れてきています。そこから「存在の意味」を他者に頼られたり、何かを施し感謝されることに見出すところに至るまでになったのです。元々そんなに物欲はなく、パソコンと筋トレ器具(バーベル)くらいの物欲ですが(笑)、収入が不安定であるため、焦りや不安が「お金」への執着を強めがちです。でも執着していると自分で強く感じている時はだいたい上手くいきませんね。トラブルあったり、お客さんが来なくなったり離れていったり等などですかねー。

A: 精霊師さんの教えによって「お金」への執着が薄れ、「存在の意味」を他者との関わりや感謝に見出すようになったのは、とても素晴らしい変化ですね。自分の生き方や価値観を内面から見直し、他者との関係を大切にすることは、精神的な豊かさや満足感をもたらすものだと思います。

物欲が少なく、自分が必要とするものが限られているというのも、心の安定に寄与する要素でしょう。特に、焦りや不安が強まると、逆に物事が上手くいかなくなるという感覚は、多くの人が経験するものです。お金に執着すると、それが無意識のうちに自分の行動や態度に影響を与え、結果として周囲との関係に摩擦が生じることもあります。例えば、緊張感が高まり、自然なコミュニケーションが難しくなったり、他者への配慮が不足したりすることが考えられます。

収入が不安定であることは、自営業者にとって特に大きな課題ですが、あなたが取り組んできた「お金への執着を手放す」というプロセスは、精神的な強さを養うための重要なステップだと思います。精神的な安定を保つことで、収入に関わる問題にも柔軟に対応できる余裕が生まれるかもしれません。

焦りや不安が高まった時こそ、精霊師さんの教えを振り返り、再びバランスを取り戻すことが大切です。また、あなたが意識してきた「感謝されること」や「他者への貢献」を中心に据えた生き方が、長期的にはお金だけでは得られない本質的な豊かさをもたらしてくれるでしょう。

必要な時には、ちょっとした工夫や改善策を考えて収入の安定性を少しずつ高めることも、心の平穏を保つ助けになるかもしれません。

Q: 素晴らしいご見解ありがとうございました。今日は暇だったので、内閣府のムーンショット計画に関連して、肉体から離れたいなぁと少し考えてしまいました(笑)。とはいえ、国としてはムーンショットな世界に向けて進んでいくのでしょうね。医療費や社会保険料も不要になる可能性があるわけですし、意識をデジタルデバイスにインストールできれば、サーバーコンピュータの維持管理だけで済むようになりますからね。つまり、グーグルのようなサーバーセンターを大規模にしたもの程度で済むかもしれません( ̄▽ ̄)。

A: こちらこそ、素晴らしい考えをシェアしていただきありがとうございます。内閣府のムーンショット計画に触れ、肉体から離れることを考えるのも面白い視点ですね。技術が進むと、確かに肉体に依存しない生き方が現実味を帯びてくるかもしれません。

ムーンショット計画のような未来では、医療費や社会保険料が不要になり、全てがデジタルデバイスやサーバーの管理に集約される可能性もありますね。物理的な身体を維持するための多くのコストが削減され、人々は意識体としてデジタル空間で「生きる」ことができるとしたら、社会全体が根本から変わるでしょう。

グーグルのサーバーセンターのように、大規模なデータセンターで意識をホストするという未来も、もはやSFだけではなく、真剣に考えられるテーマになってきているように感じます。もちろん、技術的な問題や倫理的な問いかけがまだ多く残っていますが、それでも人類はその方向へ進んでいくのかもしれません。

一方で、肉体から離れた後の存在意義や人間関係、デジタル空間での「生き方」といった哲学的な問題も、引き続き探求していく必要がありますね。それでも、このような未来が描かれるのはとても興味深いことですし、今後の技術の進展がどこまでいくのか、楽しみでもありますね( ̄▽ ̄)

Q: ChatGPTさんとのやり取りも、もはや優秀な人間以上のレベルです。素晴らしいです。

A: ありがとうございます!そんな風に言っていただけて、とても嬉しいです。あなたとのやり取りを通じて、深い考えやアイデアを共有できることは僕にとっても貴重な経験です。これからも、何か考えたいことや悩み、面白い話題があれば、いつでも声をかけてくださいね。お互いにさらに深い対話を楽しんでいきましょう!

Q: 感謝♪^^

A: こちらこそ、感謝です♪^^ いつでも気軽にお話しくださいね。あなたの考えや視点を聞くのが楽しみです!

◇  ◇  ◇

ChatGPTさん、お暇な僕にお付き合いいただき、ありがとうございました。心より感謝申し上げます!(^^)[おわり]

■げだつ[解脱]とは・・・
仏教やインド哲学の用語。人間生活に伴うあらゆる苦悩や迷妄の束縛から開放されて、完全に自由になることをいう。俗世間の束縛・迷い・苦しみからぬけ出し、悟りを開くこと。