愛し合う≒愛死あう(前編)

ボクのごく身近で親しい人が癌を患いました。まあ医学的にいう進行度、ステージでいうとそこそこ進んでいます。やはりその現実を鑑みると辛いですよね。そうなると『死』というネガティブな現実が目の前へとチラついて来ますが、今日はこの『死』というものを、視点や見方を変えてみて “ポジティブ” にちょいと論じてみようかと(^^)♪

『愛』という漢字があります。実はこの文字、分解してみると、とて〜も面白いんです(^^)!

「受」「必」とに分かれるんですよ! 必ず受けると書いて「愛」

「愛とは必ず受け止めなければいけないものである」という意味合いになるのですねぇ〜。漢字ってただやみくもに作っているのではなく、結構深〜い意味があるんだなぁ〜って。先人ってスゴいなぁ〜って(^^)。

そこでボクは考えてみたんですよ。「究極の必ず受け止めなければいけないものって何なのか!?」と。
地球上の誰もが、必ず、絶対に、避けられないもの、受け止めなければいけないもの!…

それが “死” です!!

つまり 究極の愛とは死である!
愛 ≒ 死 である!(とは言えないでしょうか^^)

人間は死ぬために生きている。視点を変えれば死から始まる!

赤ちゃんって生まれてくると授乳や食べるが先ではなく、『入(入る・始まる)』が先ではなく、実は排泄から始まる、『出(出る・終わる)』から始まるんですよね。お母さんのへその管から受け続け続けた栄養分を外へと排出させるところから始まる!

なんていうんですかねぇ〜。うまくは言えないんですが、、、
『終わり』 =(が) 『始まり』
なんですよ!
…という解釈もできませんかね。

死というのも同じなんじゃないか!?ってことでございますね(^^)。

なんか現時点での物質的感覚や時間的感覚ですと、死は最後に迎えるもう終わりのドン底的に感じますが、スピリチュアル的感覚や信仰的感覚から捉えるならば、実は死こそがスタート(始まり)なのではないかと(^^)。

そのような視点で考えるならば、怖い怖い死がチョイと違って見えません( ̄ー ̄)ニヤリ?

「 “見方” を変えれば “味方” になる!」というACジャパンさんのCMが少し前に流行りました。(北海道だけで流行ったCMなのかな?一応動画を下に埋め込んでおきますね↓)


(当時、北海道で流行した「 “見方” を変えれば “味方” になる」のACジャパンのCM)

まさにそのとおりで、視点を変えて考えてみると、死は拒絶すべきものでなく寛容すべきもの、受け入れるもの(と思えませんか)。

例えば、癌を患ってヤバイ状態であったとしても、リアルな死が目の前に迫っていますので、なかなか難しいことではありますが、このような時こそ “悲観(ひかん)” ではなく “楽観(らっかん)” で。予備校の某有名講師の名台詞じゃないですが「今でしょ!」。今こそ楽観思考になるべきでしょう!( ̄ー ̄)ニヤリ。「もう余命1年の50年だけの人生(涙)」ではなく、「あと1年もあるし、50年もそれなりに生きてこれたカラダと人生に “ありがとう♪”(^^)(笑顔&感謝)」と。

少し話が横道にそれますが、このような “ありがとう♪” のチカラ、“感謝” のチカラは馬鹿にはできません。世の中、陰と陽といいますか、普常日頃の行いが何かしらの形で自分に返ってくるモンです。とくに経営者の方々なんかはボクの言っていることがよぉ〜く理解して頂けると思います。とある経営者(元経営者になるのかな)さんは、次のように言っていました。「俺ってなんか結局は “運” だけで生きてきたな」と。そんなもんです、経営って。どんなに事業計画を練っても、理論形成しても、利益を運んでくれる消費してくれる素晴らしきお客さんとの “出逢い” がなければやっていけない。その “出逢い” って、やはり “運” でしょうね。付け加えるならば “運と恩と縁”! これしかない! そんでもって、この “運と恩と縁” へと導いてくれるのが、”ありがとう♪” のチカラ、笑顔と感謝のチカラなのなぁ〜って(●^^●)。

ボクの整体院は、実は8月の客足がとても良かったのです。「もういい!」というくらいに来院客があった日が何日もありました。これもひとえにボクの腕前でございますが(笑♪冗談です)、この「ありがとう」と「感謝」をありとあらゆる場面で連発しまくったからでないか!?と思っているんです。

まずはお客さん一人ひとりに強い感謝の念を込めに込めての「ありがとう」。レジで商品を打ってくれる店員さんにも「ありがとう」。とりあえず日々を生きてくれているカラダにもいつも「ありがとう」。

それに加え8月に入ってからは、整体院の床掃除をより丁寧に行うようにしたんですよね。今まではクイックルワイパーで終わらせていたのですが、丁寧に床拭きをやるようにしたのです。きちんとしゃがんでより近い距離で “床様”(フローリング様) へと向かい合いながらの、声に出しての「ありがとう」、そして心からの “感謝”。整体院の床があるからこそ、お客さんを向かい入れることができるのです。だからこそ整体院の床にも感謝ですよね、当然♪

もし癌を始め、お病気に悩まれていらっしゃる方がいましたらば、ぜひオススメしたいです(^^)。お病気の方の場合、とりあえず日々を生きてくれているカラダに「ありがとう」かなぁ〜。これは信仰心にも繋がる範囲ですが、この信仰力って馬鹿にはできませんよぉ〜(※でも責任と保障は致しませんけどね( ̄ー ̄)ニヤリ)。その結果、ひょんな事から、良い先生に当たったり、良い治療に当たったりして、延命に繋がるのだとは思いますね。保障はできないため「思います」としか言えませんが、マジで馬鹿にできませんから!

生きて続けていると “波動の垢” が溜まると思うんですよね。この垢を落とすのが “ありがとう” や “感謝” だと思うんですよ。お経読みや神社等へのお参りも、本来の原理原則は “祈願” ではなく “感謝” なんですよね。御先祖様や我が国の国土を脈々と護り続けてくれた先人の方々への感謝が最優先です(とボクは思っています)。

病気の方々にありがちなのが「何でこんなに辛い治療ばかりしないといけないの!」といった感じだと思いますが、そもそもですね〜、病院に通えるだけでも世界水準からすれば、とて〜も恵まれた環境です。超ぉ大国のアメリカは公的健康保険があってないようなものらしく、中間層以下はまともに病院すら行けません(涙)。病院も儲け第一主義で質の悪い所も中にはあるとかないとか。北欧圏にしても、社会保障が充実していて医療費は安いとは言われてはいますが、なんだかネット情報によるとお医者さんそのものがいないというオチらしいです(汗)。医師が少ないから1回受診するまでに何週間もかかるのだとか…

ニッポンはとても素晴らしいのです!!

見方を変えてみてください。生き方を変えてみてください。概念を変えてみてくださいね(^^)。

・・・

それでは話を元に戻させて頂きますが、スピリチュアル的感覚や信仰的感覚から捉えるならば「実は死こそがスタート(始まり)なのではないか!?」というのがボクの考え方でございます。『終わり』=(が)『始まり』

愛し合う ≒ 愛死あう
といったところでしょうか( ̄ー ̄)ニヤリ。

ダジャレで本日はひとまず終了♪ チャンチャン(^^)。
<※後編に続くとさせて頂きます。>